土井 晩翠
(1871 - 1952)

bust of Bansui
「荒城の月」詩碑と晩翠の胸像。仙台の青葉城址にある。
 本名は林吉、仙台市出身。
 東京帝国大学で英文学を学ぶかたわら、「帝国文学」の編集委員として、在学中から詩を発表、注目された。他の多くの学生同様、師である小泉八雲を非常に尊敬しており、八雲の25回忌に際しては彼を称える詩を捧げている。
 卒業後、母校である仙台の旧制二高教授として英語を教えると共に、詩作・翻訳でも活躍した。翻訳家としての対象は英語だけにとどまらず、ホメロスの「イーリアス」「オデュッセイア」をギリシア語原典から全訳するという偉業を残した。もちろん日本では初めてのことであった。
 詩人としては、島崎藤村と共に近代詩の一時代を築いた。中でも瀧廉太郎の作曲した「荒城の月」は、日本で最も広く歌われる名曲として、不滅の名声を築いた。
 これらの業績が認められ、詩人として初めての文化勲章を受章した。彼が東京帝大在学・欧州留学の期間を除いて人生の大半を過ごした仙台には、彼が住んだ家「晩翠草堂」が今も保存され、その家の近くを通る道は「晩翠通」と呼ばれている。
 なお彼の苗字はもともと「つちい」と読むのだが、頻繁に「どい」と誤読されるため、1934年に自ら「どい」と改名することを宣言した。



代表作品
詩集「天地有情」
詩集「暁鐘」
随筆「雨の降る日は天気が悪い」
歌曲「荒城の月」(瀧廉太郎作曲)


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