制作日記(1)
紀州さまのお屋敷
某月某日
仕事で赤坂プリンスホテルに行った。バブルの象徴のように言われた場所だけあって、言葉に出来ない重厚さのある場所だ。逆に私としてはどうも居心地が悪い。そんなにハードな仕事でもないのに、グッタリと疲れてしまった。
この場所は、八雲「怪談」所収「むじな」の舞台であり、私のホームページでも紹介している「紀伊国坂」にほど近い。しかし仕事が終わったときには、そこへ立ち寄ってみようという気持ちも萎えて、さっさと帰ることにした。
それで「赤プリ」を後にするとき、小さな石柱が私の目に映った。
確かに東京は元の江戸だから、大名屋敷跡にホテルが建っていても何の不思議もない。現にこの隣にあるホテルニューオータニは、近江国彦根藩主・井伊氏の屋敷跡である。だが・・・
私のホームページ「紀伊国坂」の項には、坂の名の由来は、それが紀州徳川家江戸屋敷に面していたことであり、その場所は現在の赤坂御用地だと書いてある。プリンスホテルの前の碑を見た私は、「この記述が間違っていたのだろうか」という不安に襲われたのである。
ホームページを作るときに紀州藩邸の場所を確認したのは、江戸の市街地図として知られる江戸切絵図だったから、ひとまずこの図面と現在の地図を並べて検証するしかない。私はその週末にさっそく図書館に行った。
結論は簡単だった。赤坂御用地、赤坂プリンスホテル、どちらも紀州藩の屋敷だったのである。当時の大名は江戸に上屋敷、下屋敷を持っていて、大きな所領を持つ者や高い地位の者だと、そのほかに中屋敷、抱屋敷というのまであったという。御用地が上屋敷、プリンスホテルは抱屋敷だったらしい。
当時の江戸は、人口構成比ではタカが知れている武士がかなりの領地を占めていたと聞いたことがあるが、その一端を垣間見たわけだ。
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